朝からホールへ赴くことの意義
ホールによって異なりはしますが、今日は出るのではないか?と思しき日には非常に多くの人々が順番に並んで抽選を受ける光景は日常のように見かける事ができ、各々ファンがいろいろな思惑で自分が向き合う遊技機との対面を心待ちにしています。基本的にギャンブラーは楽観主義者が多く、良い結果を想像することも多いのでしょう。
昔はこのような光景はどこのホールでも見かける事が出来、特に新台入れ替えやグランドオープンなどは今のように入場順番を抽選するというシステムはあまりポピュラーではなかったせいもあり、開店時は戦場のような光景がいたるところで繰り広げられ、まさに弱肉強食の人間版といった感じでした。
昔と今日の大きな違いは並ぶ人々の目的がパチスロの高設定狙いが主流であるという点です。以前はパチンコにも勝てるように思える台が多数用意されており、それらを釘読みの目利きや野生の感等で取捨選択をして一番に抑えるという作業はある種快感を覚えるものです。それが目論見通りの結果となれば喜びもひとしおです。
朝からホールに赴く理由はそれだけではないと思います。常連さんの多いホールでは並んでいる最中の各々の出る台予想や多様な情報交換等も重要なエレメントであったと思います。個人的にそういった勝利に直結しやすい行動の一環として朝から並ぶというのもあるのですが、それとは全く異なる意義を感じて、それは朝のホールの清々しさや静寂さを感じ取るのも理由の一つになっていました。夜ホールに行くとタバコの煙で霞がかったような光景の中であちこちで様々な音が入り乱れ喧噪といった言葉がぴったりくるような感じです。もちろんホールをこのような状況に持っていくのはある種作為的な一面もあり、出来るだけ平常心を喪失させるような工夫は集客や稼働の向上にとても必要な演出であると聞いたこともあり、実際外国の人がホールに足を踏み入れると別世界に入り込んでしまったような錯覚に陥るそうです。そのような中で清々しさや静寂さを理由に朝から足を運ぶ自分は少しおかしいのかなと思うこともあります。
しかし遊技を続けると徐々に時間の経過とともに違った風景を見せてくれるようになります。周囲の人々の歓声や怒号なども耳に届き、自分の遊技する機械からもいろいろな浮き沈みのドラマが発信され、それを見て一喜一憂する自分に気が付きます。もうそのころには朝一番に感じた清々しさや静寂さの風情などは全て頭の中から消去されています。そして更に時間が経過し、遊技を終えてホールを後にするときには肉体的な疲労感とともに自分が喜怒哀楽に使った感情の変化の為に使用した莫大なエネルギーの消費による疲労を感じながらしばらく継続する耳鳴りとともにスポーツをした後のような充足感を持ちます。
考え方を変えれば朝の清々しさや静寂さは、この日展開されるであろうパチンコ台とのバトルの前奏曲のような役割があったのかもしれません。全くこのような起承転結を最初から計算ずくで演出しているのだとすればこのシステムを構築した人は恐るべき人心掌握術を持っている天才ではないかと思います。
話が脱線してしまいましたが、パチスロについてはいまだに終日遊技するとこういった起承転結のようなドラマ性を感じさせる事が多々あるのにも関わらず、今のパチンコはそういった感覚になることも少なくなりました。五感に訴える演出能力などもパチスロの方がよりもたけているのかもしれません。
今のパチンコにはどこが足りないのか自分なりにもう少し考えてみたいと思います。
※ 当サイトで使用しているホールや機械の画像はすべて許可を取り撮影し、掲載しております。